2018年8月18日土曜日

野火


2015年/日本/87分
監督、製作、脚本、撮影、編修 塚本晋也
原作 大岡昇平
撮影、助監督 林啓史
音楽 石川忠
出演 塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子、山本浩史

この映画が初めて上映された時期の鑑賞当時はまだブログを書いていなかったのですが、この度(2018年)の劇場でのリバイバル上映に伴ない2度目の鑑賞をして参りまして、当時「週刊映画時評ムービーウォッチメン」に投稿したメールを加筆、修正して転載しております。改めて読み直すと、もう少しうまくかけたら良かったと思うのですが(今回はまた以前とは異なる感想を覚えています)、初見の観賞直後に受けたライブの感想を記すため、ほとんど投稿当時の内容のママです。今回はメイキングも同時上映され、これまた自分の勉強不足とスタッフ、キャスト、関係者の皆様のご苦労に思いを馳せたところであり、そして、戦争の愚かさ、残酷さに幾度も身震いすると共に、戦争で犠牲になった多くの皆様に追悼の念を表すものです。

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凄まじくも恐ろしい、そして大変に不愉快な映画でした。もちろんこの不愉快さは今作の評価を貶めているわけではなく、インディペンデントながら制作・監督・脚本・撮影・主演とこなした塚本晋也渾身の傑作であるのは言を俟たないところでしょう。人間が巨人にぽりぽりと喰われる映画にお金をかけている余裕があったら(それが面白ければよいのですけれど)いくばくかでもこのまさに「人が人を喰う」映画に出資してほしかったところです。
観終わった後、不謹慎にも戦争を題材にした良質なホラー映画(あるいはゾンビ映画)だなとの感も持ちましたが、ここで描かれているのは紛うことなき先の大戦末期、フィリピンはレイテ島での現実。人間の極限状態をみっちりと濃密に描き出した残酷な87分の上映時間が永遠にも感じられ、劇場を後にしておもむろにつけた一服はリリー・フランキー演ずる安田に芋を渡して手にした煙草の味か、なんとも言えない旨さがありました。

このブログタイトルにその名を冠している原一男の傑作ドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』でも、人肉食が衝撃的な証言により明らかにされており、また戦争に限らず1993年の映画『生きてこそ』では航空機事故による遭難を舞台にして飢えを凌ぐための人肉食が描かれている。想像を絶する飢餓を前にしての人間の選択や行動は一つの大きなテーマとなり得ると言うことでしょう。

自主制作ゆえの画面のチープさ、そしてぼくの苦手なブレブレに揺れるカメラワーク、グロテスクな映像の数々と過剰な演出など、正直言ってひとつの映画作品としては好みではないのです。塚本正也演じる主人公の田村一等兵が現地のフィリピン人カップルと対峙する場面、けたたましく叫ぶフィリピン人女性とカットバックで必死に現地語で語りかける田村一等兵、そしてついには…と言う重要なシークエンスや米軍の機銃掃射で一網打尽にされる日本兵が肉片を飛び散らしながら体を重なり合わせてバタバタと倒れそれこそゾンビの大群のような体をなすシーンなど目を背けたくなるほど嫌だし、ぜんぜん好みの演出ではないんだけれど頭にこびりついて離れない圧倒的なパワーがあります。

音も印象に残りました。軍服が擦れる音、銃器のかちゃかちゃとした音、犬の喚き声、人間の叫び声や唸り声(あーあー、うーうーって唸り声が特に印象的)、銃声、そしてラスト、新鋭の森達也が好演した永松が安田に血肉を滴らせながら喰いつくその音。この音に関してはことさらしっかり作りこまれ、観客の耳元に直接入り込んでくるような「嫌な」感触を非常に効果的に残していたと思います。好演と言えばリリー・フランキーが凄かったですね。この人が本来持つキャラクターの振り幅が安田と言う人間に思う存分投影されていて、深い人物造形になっていました。

もちろんこれは「反戦映画」なんでしょうけれど、これを観て「戦争はこんなに悲惨だからやめましょうね」とはならない感じもするんですよね(これは誤解を招く思慮の浅い言で、ただ鑑賞当時の印象として書かざるを得なかったのです)。戦争よりも「日本軍」に問題が多々あるような気がして(もちろん戦争ありきの軍隊ってのも承知してますが)。ぼくは戦争なんか絶対嫌だってスタンスですが、割に日本の戦争映画を観る度に思うんですよね、これ。とは言え戦後70年の節目にこれだけの熱量を持った映画が、しかもインディペンデントで劇場公開され多くの人の耳目に触れると言うのは非常に意義深いことですし、これを契機にぼくを含めて議論や考えを深めていくことが後の平和に繋がるとしたら幸い、なんと言ってもこの作品を構想から二十年を経て撮りきった塚本晋也監督、素晴らしい仕事だと感じ入りました。邦画史に残る一本になることは間違いありません。

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