2015年8月28日金曜日

ジュラシック・ワールド


Jurassic Woald/2015年/アメリカ/125分
監督 コリン・トレボロウ
製作総指揮 スティーブン・スピルバーグ、トーマス・タル
キャラクター創造 マイケル・クライトン
脚本 リック・ジャッファ、アマンダ・シルバー、デレク・コノリー、コリン・トレボロウ
撮影 ジョン・シュワルツマン
音楽 マイケル・ジアッキノ
テーマ曲 ジョン・ウィリアムズ
出演 クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード、ビンセント・ドノフリオ、タイ・シンプキンス、ニック・ロビンソン、ジェイク・ジョンソン、オマール・シー、B・D・ウォン、ジュディ・グリア、イルファン・カーン

シリーズ一作目である『ジュラシック・パーク』を劇場公開当時に観たのが二十数年前という事実に足ががくがくと震え、なおかつ女の子とのデート中にもかかわらず上映途中で眠ってしまった(理由は覚えていないのです。退屈だったのかな)のと館内で子供がわいわいうるさかったと言う苦い思い出がありその後の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』『ジュラシック・パークⅢ』も追っておらず、特段恐竜に思い入れがあるわけでもないので、何となく気が進まない中での鑑賞でしたが、これが意に反して滅法面白かったのです!大収穫でして、エンドロールが流れ終わった後、思わず拍手をしようとしてしまったくらいの勢いでした。

まず、脚本が素晴らしい。その素晴らしさの源泉はバランスだと思うんです。スリル・サスペンス・アクション・ユーモア・エモーションなどエンターテインメント足り得る各要素の按配加減が絶妙なんです。だから観客はそれこそテーマパークのアトラクションを体験しているようなライド感がある。ダイアローグも洒落ているし、伏線の張り方と回収もそつなく、シリーズのファンはもちろん初見でも十二分に楽しめる、いわゆる「分かってる」スクリプトだと思います。

もちろん、リアルなことこの上ないテーマパークとしての“ジュラシック・ワールド”の舞台と恐竜たちのビジュアルの完成度があってこそ。そこに加えて長編映画ではキャリアの浅いコリン・トレボロウ監督の緩急をつけた演出がほどこされ(製作総指揮、スピルバーグの手腕も大きいでしょうけれど)、非常に質の高い(むしろ大傑作と言っても過言ではない)エンターテインメント作品に仕上がっています。

満を持してのT-REXの登場(このシーンは親指が立ちました)から今作のラスボスであるインドミナス・レックス打倒に向けての落とし前の付け方、そこに絡むラプトル四姉妹のシークエンス、そしてラストシーン、人類に再び警鐘を鳴らすようなT-REXの咆哮。オープニングこそスローテンポで入りますが中だるみもなくアップダウンを繰り返しながら終盤に向けてグーッと盛り上げていくリズム感の良い展開に大満足です。ちゃんと無残に人々が恐竜に喰われたり踏みつぶされたりであっけなくばたばたと死んでいく描写もグッド。今となっては思い出せませんが『ジュラシック・パーク』はなぜ途中で寝てしまったんだろう、もう一回観てみようかな、何ならシリーズを改めて観直してみるか、と言う気分になりましたね。

人間サイドの主役、オーウェンを演じるクリス・プラットもはまり役でしたが、大変に魅力的だったのがブライス・ダラス・ハワード演ずるクレア。あくまでパークの運営管理者としての非情さをのぞかせる冷徹なキャラクターから、二人の甥への愛着と無残に殺されていく罪のない恐竜たちへの憐憫の情を覚え改心し、自らその身を投じて甥たちの救出に向かいインドミナス・レックスへと対峙していく、その成長というべき変心をブラウスをびりっと破いてはだき腕まくりをして汗を滴らせ疾走し表現する様は、オーウェンに負けず劣らずのヒロインっぷり。最近のハリウッドではやはりこういう女性像が求められるでしょうね。

敵役に微笑みデブ(ビンセント・ドノフリオ)が出演していたのも個人的にヒットでした。にかっと悪魔的笑みを見せると歯並びがすごい良くて、ぴかぴかに白かったのが印象的でした。ホワイトニングしてるのかな。

『フルメタル・ジャケット』の“微笑みデブ”ことビンセント・ドノフリオさんです。ひどい扱いを受けております。

2015年8月22日土曜日

野火


2014年/日本/87分
監督 塚本晋也
製作 塚本晋也
原作 大岡昇平
脚本 塚本晋也
撮影 塚本晋也、林啓史
音楽 石川忠
編集 塚本晋也
出演 塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作

凄まじくも恐ろしい、そして大変に不愉快な映画でした。もちろんこの不愉快さは今作の評価を貶めているわけではなく、インディペンデントながら制作・監督・脚本・撮影・主演とこなした塚本晋也渾身の傑作であるのは言を俟たないところでしょう。人間が巨人にぽりぽりと喰われる映画にお金をかけている余裕があったら(それが面白ければよいのですけれど)いくばくかでもこのまさに「人が人を喰う」映画に出資してほしかったところです。

観終わった後、不謹慎にも戦争を題材にした良質なホラー映画(あるいはゾンビ映画)だなとの感も持ちましたが、ここで描かれているのは紛うことなき先の大戦末期、フィリピンはレイテ島での現実。人間の極限状態をみっちりと濃密に描き出した残酷な87分の上映時間が永遠にも感じられ、劇場を後にしておもむろにつけた一服はリリー・フランキー演ずる安田に芋を渡して手にした煙草の味か、なんとも言えない旨さがありました。

このブログタイトルにその名を冠している原一男の傑作ドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』でも、人肉食が衝撃的な証言により明らかにされており、また戦争に限らず1993年の映画『生きてこそ』では航空機事故による遭難を舞台にして飢えを凌ぐための人肉食が描かれている。想像を絶する飢餓を前にしての人間の選択や行動は一つの大きなテーマとなり得ると言うことでしょう。

自主制作ゆえの画面のチープさ、そしてぼくの苦手なブレブレに揺れるカメラワーク、グロテスクな映像の数々と過剰な演出など、正直言ってひとつの映画作品としては好みではないのです。塚本正也演じる主人公の田村一等兵が現地のフィリピン人カップルと対峙する場面、けたたましく叫ぶフィリピン人女性とカットバックで必死に現地語で語りかける田村一等兵、そしてついには…と言う重要なシークエンスや米軍の機銃掃射で一網打尽にされる日本兵が肉片を飛び散らしながら体を重なり合わせてバタバタと倒れ、それこそゾンビの大群のような体をなすシーンなど目を背けたくなるほど嫌だし、ぜんぜん好みの演出ではないんだけれど頭にこびりついて離れない圧倒的なパワーがあります。

音も印象に残りました。軍服が擦れる音、銃器のかちゃかちゃとした音、犬の喚き声、人間の叫び声や唸り声(あーあー、うーうーって唸り声が特に印象的)、銃声、そしてラスト、新鋭の森優作が好演した永松が安田に血肉を滴らせながら喰いつくその音。この音に関してはことさらしっかり作りこまれ、観客の耳元に直接入り込んでくるような「嫌な」感触を非常に効果的に残していたと思います。好演と言えばリリー・フランキーが凄かったですね。この人が本来持つキャラクターの振り幅が安田と言う人間に思う存分投影されていて、深い人物造形になっていました。

もちろんこれは「反戦映画」なんでしょうけれど、これを観て「戦争はこんなに悲惨だからやめましょうね」とはならない感じもするんですよね。戦争よりも「日本軍」に問題が多々あるような気がして(もちろん戦争ありきの軍隊ってのも承知してますが)。ぼくは戦争なんか絶対嫌だってスタンスですが、割に日本の戦争映画を観る度に思うんですよね、これ。とは言え戦後70年の節目にこれだけの熱量を持った映画が、しかもインディペンデントで劇場公開され多くの人の耳目に触れると言うのは非常に意義深いことですし、これを契機にぼくを含めて議論や考えを深めていくことが後の平和に繋がるとしたら幸い、なんと言ってもこの作品を構想から二十年を経て撮りきった塚本晋也監督、素晴らしい仕事だと感じ入りました。邦画史に残る一本になることは間違いありません。

2015年8月15日土曜日

インサイド・ヘッド 


Inside Out/2015年/アメリカ/94分
監督 ピート・ドクター
共同監督 ロニー・デル・カルメン
脚本 ピート・ドクター、メグ・レフォーブ、ジョシュ・クーリー
音楽 マイケル・ジアッキノ
日本版主題歌 DREAMS COME TRUE
声の出演(日本語吹き替え版) 竹内結子(ヨロコビ)、大竹しのぶ(カナシミ)、ビンボン(佐藤二朗)、浦山迅(イカリ)、小松由佳(ムカムカ)、落合弘治(ビビリ)、伊集院茉衣(ライリー)、花輪英司(パパ)、田中敦子(ママ)

プルル…ガチャ「もしもし」「なんや、おかん」「あ、たかし。あんたプリプリって知ってるか」「なんやねん、プリプリいうたらプリンセス・プリンセスやがな」「ほーそうか…。ほんならあんた、ドリカムいうたら、ドリンセス・カムンセスかいな」…20年程前のネタです。

事前にタイイン・プロモーションのことは聞いていたので、精神的な被害は最小限に抑えることができましたが、あの元旦に知らない人から「我が子もこんなに大きくなりました!」的な年賀状が大量に送りつけられてくるという悪夢のようなスライドショーは『時計仕掛けのオレンジ』の拷問を彷彿とさせるものがありました。日本版主題歌ってだいたいにおいて悪影響しかないような気がするのですが、それでも今回、どうしても「なし」って選択肢がないのなら冒頭に持ってきたのは英断だったんじゃないかと思います。と、いうのも本編がすんごく良かったのでエンドロールはじっくり余韻に浸ることができましたから。あれをお尻に持ってこられたらぼくのインサイド・ヘッドの「イカリ」がオーバードライブです。

恒例のショートフィルム、今作は擬人化した火山のロマンスをミュージカルに仕立てた『南の島のラブソング』でしたが、そもそも予告編やらが長かったのと冒頭のドリカムショックで頭がぼーっとしていたため、これが本編のイントロダクションだと勘違いし「変わった映画だなあ」などと独りごち、うまいんだかへたなんだかわからない唄を聴きながら「女の火山のビジュアルがトラウマ級に怖い」と慄いていたところに、はたと「あ、これいつものおまけのやつや!」と気づいて、ようやく本編上映開始となったのです。ちなみに、このショートフィルム、出来具合がどうこうより、だんぜん吹き替えなしで観たかった。

なんとなく森重久彌に似ています。
そもそも、本編も字幕版で観たかったのですが上映館がすべて日本語吹替え版であり、選択の余地がなかったのですね。最初は竹内結子演じる「ヨロコビ」の喋りのリズムに日本語の乗っていかない感じが不自然さを覚えてうーんとなっていたのですが、途中からはその違和感も消え去り、大竹しのぶ演じる「カナシミ」や佐藤二朗の「ビンボン」が大変に良かったのとその他の声優陣はさすがの演技で映画の内容に集中できるという点では日本語吹替え版もそれはそれで良し、となっていた次第です。

何より、齢四十と二つ、やもめ暮らしで中間管理職のおっさんであるぼくが今作、二回ほど号泣メーン致しまして、大人向け子供向けと言った話もあるとは思いますが、ぼくにはピンポイントに刺さる映画で非常に心を動かされました。号泣ポイントは二つ。「さらばビンボン」シークエンスと「ライリーかなしみに浸る」シークエンスです。ちなみに、ぼくの隣の席にいたちゃらい兄ちゃん(カップルで来ていて上映開始前はちゃらちゃらといきがってふざけていた)からも啜り泣きが漏れておりました。

頭の中の感情の動き、わかっちゃいるんですけれど、ああいう形で可視化されるととにかく楽しくて、ぼくのインサイド・ヘッドでもあんなしっちゃかめっちゃかが行われているんだという気持ちになり、これはライリーの物語であるとも同時にあなたの物語でもあるのですと言う、監督ピーター・ドクターの言葉に大きく頷くのです。原題は「Inside Out」、裏表ですね。喜びとともに生まれ、悲しみを背負い生きていく、そこにライリーの成長譚と家族愛を絡めて一つの普遍的な物語を紡いでいく脚本、巧いと思います。そこに、アニメーションならではのアイデアとビジュアルを最先端の技術を駆使して披露してくれるサービス精神と制作陣の真摯さは見事。あの焼却炉みたいなところでどんどん二次元になっていく様はなかなかにマッドで大好きなシーンの一つです。きちんとアクションがあり、スリルがあり小ネタもしっかり仕込んでと、エンターテイメントの髄を味わい尽くした(言い過ぎかもしれませんが)98分間でした。ぼくはそれほどディズニー・ピクサーアニメを観ていないので他の作品と比肩してどうこうとは言えませんんが、本作に限って言えば堂々の二重丸です。

疑問だったのが、なぜライリー一家はミネソタから引っ越さなければならなかったのか、サンフランシスコに腰を据えることにどうやって折り合いをつけたのか、この二点。まあ、そんなことはどうでもええ、愛や!家族愛やで!と言うことで納得しました。『アナ雪』では自己犠牲愛、『マレフィセント』では母性愛、そして、今作では裏表になった「ヨロコビ」「カナシミ」と副次的な「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の五つの感情を大きく包むのは『家族愛』でしたね。愛にもいろいろなカタチがあるものです。そして、ライリーには五つの感情がとりあえずは知らんぷりを決め込んでいた「思春期」が訪れます。ボタンを押すのは誰なんでしょう。それでは、聞いてください。川村カオリで『ZOO』。

愛をください。

2015年8月8日土曜日

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN



2015年/日本/98分
監督 樋口真嗣
原作 諌山剣
脚本 渡辺雄介、町山智浩
撮影 江原祥二
音楽 鷺巣詩郎
主題歌 SEKAI NO OWARI
出演 三浦春馬、長谷川博己、水原希子、本郷奏多、三浦貴大、桜庭ななみ、松尾諭、渡部秀、水崎綾女、武田梨奈、石原さとみ、ピエール瀧、國村隼

事前に監督・プロデューサーのTwitterの炎上騒ぎ、某ブログでのこき下ろしや、某レビューサイトでの荒れっぷりを耳目にしており、また予告編でのそこはかとない悪い予感なども抱きつつ、あんまり気が進まない中での鑑賞でした。

何が腹立ったってですね、映画の内容もさることながら、隣の座席の女性がさほど暑くもない館内の中、始終うちわでぱたぱたやっててうるさいのと仰いだ風がこちらにあたるのでいらいらしていたところに、挙げ句スマホを触りだしたんですよ。さすがに注意しましたけれど、巨人化してぼりぼりと喰ってやりたいところでしたね。

「上映中にスマホを触るやつら……駆逐してやる!この世から……一匹残らず!」


上映中のマナーを守りましょう。巨人に喰われるよ。

それはさておき、映画の感想ですが下馬評通りの代物で、それ以上でもそれ以下でもないという感じです。ぼくは特撮に関してそれほど懐が深くなく、ノスタルジックな思い入れもないのですが、そこに関してはまあ良しとしたいんですね。巨人が悪ふざけしているお笑い芸人にしか見えない、立体起動装置がもっさい、あんだけ落石あったらぜんぜん当たるだろとか色々と突っ込みどころはありますが、超大型巨人や巨人化したエレンなんかは迫力があって格好良かったと思いますし、これはバジェットと技術力に拠るところが大きいわけですから「邦画としては」って言う括弧つきで承っておく部分なんだろうと思います。

ただ、こんなところで、しかも何度も引き合いに出して大変に恐縮なのですが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が滅法面白いのはビッグバジェットだからなのかというと全くそんなことはないですよね。じゃあ、何だと言われるとそれは脚本なり演出なりディテールへの拘りなり、いわゆる製作陣の「真摯さ」だと思うのです。

原作は以前、人に勧められて10巻くらいまでを単行本で一気読みしたのですが、非常に面白くはあったものの、いわゆる原作ファンの方とは立場を異にします。原作の実写化にあたってオリジナルの改変を入れるのはやぶさかではありませんし、むしろあれだけのスケールのものを前後編に分かれるとは言え限られた時間の中で、しかも実写で映画化するというのは製作者側にそれ相当の覚悟と手腕が試されるものでしょう。

そういう意味では今作は特に人物の設定や動機付けと相関関係、ドラマパートの演出を含めた脚本に非常に難があるように感じました。実写映画化にあたってのオリジナリティがとても功を奏しているとは言えず、なんでそこで突然セックス?とかシキシマさんリンゴを食べると歯ぐきから血が出ませんか?とか巨人は音に敏感だっつーのに調査兵団ぎゃーぎゃーうるさいよ!とかエレン、ミカサが生きてたんだからもうそれで良いんじゃね?とかとにかく頭の中がノイズでいっぱいになっちゃって。

役者陣は頑張っていたと思います。ハンジ役の石原さとみはもちろん出色の演技なのですが、いろいろ言われている水原希子も許容範囲でしたし、エレン役の三浦春馬をはじめ、皆さんこの映画に対する一生懸命な思いが伝わってきました。「真摯さ」を感じましたよ。アルミン役の本郷奏多と三浦春馬の区別がおじさんにはイマイチつかなかったですけれど。あと武田梨奈は完全に無駄遣いです。アクションさせろよ!

面白くしようと思えばいくらでももっと面白くなる!製作陣に原作へのリスペクトと映画作りに対する「真摯さ」が足りないんじゃ!もったいないなあと、お前誰なんだという超上から目線のまとめで筆を置きたいと思います。乗りかかった船で後編も観なきゃいけないんでしょうけれど、なんだかめんどくさいな…。

石原さとみ、今作の炎上騒動に対するLINEの公式アカウントでの発言でも株を上げたようですね。ハンジ役、見事にはまっていました(単にぼくが石原さとみが好みなのでバイアスがかかっているという話もありますが…)。