2016年3月25日金曜日

ヘイトフル・エイト


The Hateful Eight/2015年/アメリカ/168分
監督 クエンティン・タランティーノ
脚本 クエンティン・タランティーノ
撮影 ロバート・リチャードソン
美術 種田陽平
音楽 エンニオ・モリコーネ
出演 サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ジェニファー・ジェイソン・リー、ウォルトン・ゴギンズ、デミアン・ビチル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、ブルース・ダーン、チャニング・テイタム

今作が長編映画第8作目となるクエンティン・タランティーノ監督。ぼくがデビュー作からクロニクルに全作品を追っている数少ないマイ・フェイバリットな映画監督でありまして、前作『ジャンゴ 繋がれざる者』から3年ぶりの新作と言うことで大変楽しみにしており、公開間もなく劇場に足を運びました。加えて、今週のムービーウォッチメンでようやく選ばれ、また、ぼくが参加している読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の分科会である、映画の話をする会「名古屋シネマテーブル水曜会」の今月の課題映画と言うこともあり、昨晩のレイトショーで2回目の鑑賞と相成りました。

168分と随分な長尺ですが、2回目の鑑賞も全く飽きることやダレることもなくするりと美味しくいただけましたね。筋が判っているため、いろいろなところに目が行く余裕があって1回目の鑑賞の時よりむしろ楽しめたかもしれません。間違いなく、この映画を引っ張っているのはタランティーノの脚本力であり、そこで繰り広げられる会話劇が最高に面白いんですよね。ざっくり言ってしまえば、デビュー作『レザボア・ドッグス』の西部劇版と言ったところでしょうか。それで、この面白さ、変なたとえなのですが、小説を読んでいるかのように映画を観ているって感じなのです。頭の中と眼前で小説と映画が同時進行しているような不思議な感覚、これはぼくの個人的なタランティーノ作品を鑑賞するときのあるあるなんですね。

もう1点、タランティーノのキャスティング力がすごい!ってのもぼくが彼を好きな理由の一つです。サミュエル・L・ジャクソンはもとよりティム・ロス、ジョン・トラボルタ、クリストフ・ヴァルツなどはタランティーノ作品でこその輝きを放った俳優だと思います。今作で言えばレッド・ロックの新保安官を自称するクリス・マニックスを演じたウォルトン・ゴギンズが出色でしょう。直近では『エージェント・ウルトラ』で不気味な傭兵(暗殺者だったかな)を演じていたのを記憶しています。サミュエル・L・ジャクソン演じる主人公のマーキス・ウォーレンと最初は南北、人種の隔たりから敵対していたもののやがて共闘するに至るオイシイ役どころを、間延びした南部訛りを操りながら旨い味付けで演じていました。

変な話、いわゆる“本読み”の段階を映像(音声だけでも良いかも)で見せてもらっても良いくらいの練れたスクリプトなので、実際のスクリーンにおける俳優陣の演技合戦も錚々たるものがあります。カート・ラッセル然り、アカデミー助演女優賞にノミネートされたジェニファー・ジェイソン・リー然りです。しかも、嬉しいことにブルース・ダーン、マイケル・マドセンもその色気でしょぼくれ具合を魅せてくれますしね!(もうひとつ、あの役にあの俳優さんのチョイス!)

圧巻はやっぱり、ブルース・ダーン演じるバトンルージュの戦いで多くの黒人を虐殺した元南軍将軍のサンディ・スミザーズに向けた大演説、ビッグ・ブラック・ジョンソンのくだりですかね。男性のイチモツを指して「ジョンソン」とは初耳ですが、タランティーノ&サミュエル・L・ジャクソンならではの名場面です。ほんと、他の監督と役者さんではありえないものすごく残酷だけど思わず笑ってしまうと言う絶妙なバランス加減はさすがで、やっぱりこうでなくっちゃと膝を打つところですね。

映画も中盤から後半に差し掛かってくると、このいわゆるユーモアとグロテスクが入り混じったタランティーノ風味が増してくるところとなり、血みどろフルーツグラノーラ的なシーンも散見され、この辺りは好き嫌いのはっきり分かれるところでしょうが、ぼくとしてはそれも勘定の内と言うことで、たっぷりと楽しみましたし、大変に差別的な言説でありながらその実、あらゆる差別をヘイトする逆説的なテーマも根底には流れており意義深いものだと感じました。ラストのシークエンスなんかほろりときちゃいますよね。「リンカーンの手紙」、象徴的です。さて、メアリー・トッドが呼んでいます。そろそろ床に就く時間のようですね。

音楽を務める巨匠、エンニオ・モリコーネはこの映画で第88回アカデミー賞作曲賞を見事受賞しました。感動的な授賞式の様子でしたね。おめでとうございます!

2016年3月10日木曜日

マネー・ショート 華麗なる大逆転


The Big Short/2015年/アメリカ/130分
監督 アダム・マッケイ
原作 マイケル・ルイス
脚本 チャールズ・ランドルフ、アダム・マッケイ
撮影 バリー・アクロイド
音楽 ニコラス・ブリテル
出演 クリスチャン・ベール、スティーブ・カレル、ライアン・ゴズリング、ブラッド・ピット、マリサ・トメイ、カレン・ギラン、メリッサ・レオ、ジョン・マガロ、フィン・ウィットロック、ジェレミー・ストロング、レイフ・スポール、ハミッシュ・リンクレイター、マーゴット・ロビー、セレーナ・ゴメス

あんまり前情報を入れず、邦題とキャスティングから察するに主要キャストの4人がチームを組んで、サブプライムローン金融危機で吹き荒れる生き馬の目を抜く金融業界の中、苦境にめげず逆目を張って大儲けするコメディタッチの痛快なストーリーなんだろうな、と想像力を働かせて鑑賞したのですが、ぜんぜんそんなお話ではありませんでした。邦題、ひどくないですか(あと、予告編も)

ぼくは何を隠そう経済学部卒なのですがそれも今は昔、金融リテラシーも低く、そもそもお金も持っていない貧乏サラリーマンなので投機の類など縁遠い話であり、そんな身からすると今作で語られるあれやこれやは全くと言って良いほどちんぷんかんぷん。もちろんサブプライムローンの破綻に端を発するリーマンショックなどの金融危機、すなわちこの話しのオチは見えているものの、そこで繰り広げられる登場人物たちの金融商品の売買の仕組みがぜんぜん頭に入ってこず「ほえー」とスクリーンを眺めるばかりでした。

ゲスト的に出演するマーゴット・ロビーやセレーナ・ゴメスによる“やさしい”解説なども入るのですが、ふんふん、なるほどとうなずきはするものの「え、ごめん、もう一回言って」と首を捻っているうちに物語は進んでいき、たいそうな置いてけぼりを食らうのでした。そもそも、原題となっている「ショート」すなわち「空売り」ってのが、良く分からないんですよね。いや、理屈は分かるんですけれども。字幕を追っていると「売り」と「買い」が逆に訳されている個所があるような気がするんですよ。それって「売り」じゃなくて「買戻し」じゃないの、とか。専門用語に至っては全くついていけません。

それに加えて、全体としてはむしろシリアスな話運びで(オチがバブル崩壊なので当たり前ですが)、結局ある意味では誰もこのマネーゲームの勝者はいないどころか一番の被害者はこの映画では(少ししか)描かれていない貧困層や移民の人達だったりするわけで、“華麗なる大逆転”なんて話では全くないわけです。まあ、逆目を張って大儲けするってことには間違いないのですが。

それで、つまらなかったのかと問われるとこれが結構、面白かったし楽しめました。130分の長尺ながらもアダム・マッケイ監督のテンポ良くリズム感のある演出であっという間に過ぎていきますし、芸達者揃いの俳優陣の演技が見応えがあり、特にスティーブ・カレルが出色でした『フォックス・キャッチャー』に続き、素晴らしい演技でぐぐっと感情移入させてくれます。ブラッド・ピットも自分が制作に名を連ねる映画ではオイシイ役どころを演じるというお約束もありましたし、ライアン・ゴズリングは相変わらず叫び声を出すとき声が裏返ってました。クリスチャン・ベールはその役が変人であればあるほど嬉々として演じると言ういつもの力の入れ具合。脇を固めた俳優さんたちも光っていましたね。

ちなみに日本人が観ると、おっ!となる箇所が三つあって、ひとつは有名な日本料理のレストラン「Nobu」が舞台に、そしてそこで流れるBGMが徳永英明の『最後の言い訳』(歌詞が微妙にマッチしてて笑えます)、もう一つは村上春樹の著作『1Q84』の一節が字幕で引用されます。“Everyone, deep in their hearts, is waiting for the end of the world to come. 1Q84, Haruki Murakami”ってやつですね。個人的に非常にツボでした。

もちろん、経済や金融、この業界に詳しい人にはより楽しめるでしょうし、鑑賞前後にある程度予習復習をしておくと、この映画で語られる諸々がもっと味わい深くなるかもしれません。ぼくのように俳優陣の演技合戦を楽しむ見方もあるでしょうし、原作(マイケル・ルイス著『世紀の空売り 世界経済の破綻にかけた男たち』)を読んでみるのも良いと思います。アカデミー脚色賞も見事受賞しましたしね。色々と語るべき、語られるべき見所の多い力作だと感じました。お金は欲しいけれど、下手に株や金融商品には手を出すまい、あと無理な住宅ローンを組むのはやめようと言う教訓も得ましたよ。

スティーブ・カレル、『フォックス・キャッチャー』でも素晴らしい演技でしたが、今作も◎。コメディからシリアスまで幅広い演技力で着実にキャリアを築いています。

2016年3月8日火曜日

キャロル


Carol/2015年/アメリカ/118分
監督 トッド・ヘインズ
原作 パトリシア・ハイスミス
脚本 フィリス・ナジー
撮影 エド・ラックマン
音楽 カーター・バーウェル
出演 ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、ジェイク・レイシー、カイル・チャンドラー

週末土曜日の夕方の回で鑑賞しましたが、公開からだいぶ日にちが立っているにもかかわらず、
まずまずの客入りでした。テレーズ役のルーニー・マーラがカンヌ国際映画祭で女優賞、そしてアカデミー賞ではキャロルを演じるケイト・ブランシェットと共に主演女優賞、助演女優賞とそれぞれダブルノミネートと言う話題も手伝ってでしょう。ぼくの周りでは映画それ自体の評判も良く、期待を胸にして劇場に足を運びました。

まずは、ケイト・ブランシェット。いやあ、オットコマエでしたね。ケイト姉さん、いや、ケイト兄さんと呼ばせてください。端的に申し上げて、抱かれたいです。おもちゃ売り場で手袋を忘れると言うやり口からランチに誘ってくどくあたり、古典的ながらも説得力があります。そして、極めつけのラストシーンのドヤ顔、震えました。鑑賞中、ああ、この映画ハッピーエンドだったら良いのになあ、と思っていたんですが、必ずしもそれがハッピーな顛末を迎えるのか否かは別として、大変に好ましい幕引きでニンマリしちゃいました。割に女優さんの顔が見切れるぐらいのアップシーンが多用されるのですが、その中でケイト兄さんの顔芸が光ってましたね。顔で語る女です。

演技の素晴らしさ、と言う点では今作に関してはやはりルーニー・マーラに軍配が上がるでしょう。デヴィッド・フィンチャー監督『ドラゴン・タトゥーの女』のリスベットとは打って変わって、フォトグラファーを夢見る可憐で純朴なデパートの売り子がキャロルとの道ならぬ恋に落ちていく様を繊細かつ力強い演技で魅せます。懐の深い女優さんですね。ベッドシーンではまさに「天から落ちてきたよう」な裸体を披露してくれます。可愛く美しいおっぱいはエロスを超えて神々しいまで。ここで、ケイト兄さんの乳首も拝めるのかと思いきや、そこはNGのようです。その代り、ジョナサン・ジョースターのような広く逞しい背中が拝めます。これはこれで見応えアリ。

『太陽がいっぱい』で著名なパトリシア・ハイスミスによる同名の自伝的小説が原作と言うことで、お話の方はクラシカルな仕立てとなっておりますが、脚色が良く台詞回しも洒落ています(ちなみにオリジナルの脚本がこちらのサイトから無料でダウンロードできます)。出てくる登場人物の内、男性がおしなべて間抜けでひどい奴に描かれているのがいささか難ありっちゃあ難ありですが、とにもかくにも50年代の雰囲気とファッション、そしてケイト・ブランシェットとルーニー・マーラをひたすら愛でる映画、と言うことで良いのではないでしょうか。

ケイト兄さんのドヤ顔にイチコロですわ。

2016年3月5日土曜日

サウルの息子


Saul fia/2015年/ハンガリー/107分
監督 ネメシュ・ラースロー
脚本 ネメシュ・ラースロー、クララ・ロワイエ
撮影 エルデーイ・マーチャーシュ
音楽 メリシュ・ラースロー
出演 ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レベンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン、ジョーテール・シャーンドル

ムービーウォッチメンで取り上げられた際には、まだ名古屋での公開が始まっていなかった為、このタイミングでの鑑賞となりました。ちょうど先日、アカデミー賞外国語映画賞受賞の報を聞いたところです。鑑賞後、たばこを買いにコンビニエンスストアに立ち寄ったのですが、外国人の店員さんと少しやり取りがあり、笑顔を交わして店を出たところで一気に緊張が解け「はーコミュニケーションが取れるって幸せ」と喜びが体を駆け巡りました。余程、張り詰めて鑑賞していたのでしょう。

主人公、サウルの硬く強張った表情と、彼の肩越しに見える風景に的を絞って極端に深度の浅いカメラで捉え、スタンダード・サイズのアスペクト比を用いて展開される映像は、観ているこちらの視野を限定的にさせることでより一層オフショットで行われている凄惨かつ残虐な作業がいかなるものかと言う想像を掻き立て、またその音響、叫び声や呻き声、啜り泣き、ガス室のドアを叩く音、何か国語でやり取りされるひそめた声や怒号が耳にこびりついて離れません。

不勉強ながらゾンダーコマンドと言う役割を担った人々がいたということは初めて知りましたし、そもそもぼくはできるだけこういった類の歴史的背景や事象から目を逸らしつつ日々のほほんと生きていたい人間なので、今作の鑑賞はあまりに恐ろしく衝撃的で、薄々は知っていることを改めて目の前に突き付けられ、首根っこを掴まれてぐいぐいと問われているような感じで非常に苦しい体験でした。

言葉が通じないのはもとより、話が噛み合わない、そもそも話にならない、つまり対する相手がこちらを一人の人間として認めていない状況ってのはすごい恐怖ですよね。それがいわゆる戦争下なんでしょうけれど、その中で自分の人間性や尊厳をどう保っていくかが今作で描かれるサウルの取ったある意味、狂気の沙汰とも言える行動なのだと思います。

戦後70年を経た今尚語られ、そして今だからこそぼくらが知り、語り継ぐべき物語があると思いますし、そう言う意味で今後、アウシュヴィッツ収容所やホロコーストを描いた映画のエポックメイキングとなる作品だと感じました。

主人公サウルを演じるルーリグ・ゲーザ。職業俳優ではなく詩人さんのようです。この人の顔がすごく良いんですよね。

2016年3月2日水曜日

スティーブ・ジョブズ


Steve Jobs/2015年/アメリカ/122分
監督 ダニー・ボイル
原案 ウォルター・アイザックソン
脚本 アーロン・ソーキン
撮影 アルウィン・カックラー
音楽 ダニエル・ペンバートン
出演 マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ、マイケル・スタールバーグ、キャサリン・ウォーターストン、サラ・スヌーク

スマートフォンにiPhoneを使ってはいるもののApple信者、マカーではなく、むしろPCでは積極的なWindowsユーザーだったりします。とは言えほとんどが仕事での利用の為、そもそも電子機器の類に思い入れもなく、またその機能や進化に造詣が深いわけでもありません。今作で描かれるスティーブ・ジョブズに関してももちろん存じあげてはいますが「なんだか、すごい人」くらいの認識で特にその人となりに迫ったこともないので、逆にその辺りを知ることが出来る良い機会だと思い劇場に足を運んだわけです。

この映画、舞台劇さながらの三幕構成になっておりまして1984年のMacintosh、88年のNeXT Cube、98年のiMac、それぞれの新作発表会の舞台裏に迫りつつApple社とスティーブ・ジョブズのあれこれ、さらには娘リサとの確執と和解まで踏み込んでいくストーリー仕立てなのですが、これがですね、予備知識と言うかある程度、Appleとジョブズについて判っている人でないと固有名詞も含め話が見えてこないのですよ。ぼくは正直言ってちんぷんかんぷんでした。

鑑賞後、お手軽にWikipediaで“スティーブ・ジョブズ”の項を閲覧して、ようやく何とはなしに筋が見えてきた、と言う具合です。なので鑑賞には予習が必要な方もいらっしゃると思いますし、原作であるウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』を読んでからの方がグッと楽しめるかもしれません。ぼくも鑑賞後、この原作を読んでみたくなりました。

そう言うわけでして、鑑賞中にちょっと頭を切り替えてほぼ全編に渡り会話劇とも言えるこの映画を味わおうと俳優陣の演技に着目して時間を過ごしました。ジョブズを演じる(ちょっとセクシーすぎる)マイケル・ファスベンダー、いつもながらぷっくり可愛いケイト・ウィンスレット、そして共同創業者のウォズニアックを演じる(ひげもじゃでも声ですぐわかる)セス・ローゲン、三者三様に怒涛のダイアローグを達者な台詞回しで素晴らしく真に迫った演技で演じ切り、脇の演者さんたちも含めてさながら演技合戦。ダニー・ボイルの切れのある演出も相まってスピード感たっぷりに映画は進んでいくため、122分も長くは感じません。逆に話を追えないので取り残された感はありますが。

さて、この映画を鑑賞してぼくの“スティーブ・ジョブズ”像がどう変わったかと言うと、はっきり言ってみる前よりさらに混乱した、と言うのが正直なところです。彼が持つギフトの凄さ、みたいなものもいささか読み取りにくかったですし(プレゼンの場面はカットされてます)、その裏に隠す非情さや残酷さみたいなものもちょっと掴みずらかったです。やっぱり、原作を読みつつ2013年版(こちらはアシュトン・カッチャーがジョブズを演じているようです)を観たりして見識を深めたいところですね。とにもかくにも様々な描かれ方を許容するとてつもない深遠な人物、それがスティーブ・ジョブズと言うことでしょう。

セス・ローゲンの台詞回しと声の表情が好きなんですよね。