2014年4月17日木曜日

アクト・オブ・キリング




The Act of Killing/2012年/デンマーク・ノルウェー・イギリス合作/121分
監督 ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督 クリスティン・シン
撮影 カルロス・マリアノ・アランゴ・デ・モンティス
音楽 エーリン・オイエン・ビステル
出演 アンワル・コンゴ、ヘルマン・コト、アディ・ズルカドリ、イブラヒム・シニク

鑑賞中、極度のストレスからかところどころ居眠りをしてしまいました。あまりの刺激的な内容に脳がシャットダウンしてしまったのでしょう。
感想を一言で言うなら「WTF!」です。ちょうど前日「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」を鑑賞しており、劇中でオリバーが連発していたこの台詞が何度も脳裏をよぎりました。
まさに、What the Fuck!な映画でした。

圧巻はエンドロール。僕は、だいたいエンドロールの途中で席を立つのですが、ずらずらと流れる「ANONYMOUS」の文字に「まじかよ」と、思わず釘付けになり、しばらく席を立てませんでしたよ。
知人が国営放送での虐殺エピソードのくだりを「悪い冗談のようだ」と評していましたが、本当にこの映画自体、たちの悪い冗談のようなものだ、いやむしろ何かの悪質なパロディであって欲しいとさえ思いました

被害者が口を閉ざす中、加害者がその正当性を美化しようと映画を撮影する様子をドキュメンタリーとして撮影すると言う二重構造の中、自分自身の役を演じるアンワル・コンゴが仮想的に、あるいは追体験的に自分の犯した罪に苛まれていきラストでは止め処もない嘔吐に襲われるさまに、唖然としつつもまったく共感も同情の念も生まれてこないと言う…

冒頭の「殺しは禁じられている。だから殺人者は皆罰せられる。ただし、トランペットの音にのせ、多くを殺せば別である」と言うヴォルテールの言葉が、映画全体に重くのしかかります。
チャップリンの「殺人狂時代」が思い出されますね。

「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」


映画はアンワル・コンゴに主眼を置いて作られていますが、僕が本当に恐ろしいと感じたのは相棒のヘルマン・コト。西田敏行に似たあの人です。派手なドレスを着てかつらをかぶり女装をして精霊のようなものを演じるうちに図らずも直視できないほどの醜さを体現し、素面での彼も全く自分の信念や行動に疑義を感じていないようです

歴史的に見てジェノサイドと言うものはあらゆる時代、あらゆる場所で起こったものだと僕は認識していますし、あるいは今現在も世界のどこかで行われているのかもしれない。しかし、そんなこと日々のほほん暮らしの僕に突きつけられても、いきなりごくんと呑み込めますか?ただただ、「まじかよ」と言って茫然自失するのが関の山です。つまり、この映画はドキュメンタリーフィルムとして超弩級に凄いものだと評価すると共に、この映画を観終わった後、劇場を出ればいつも通りの静かで平和な日常にすっと戻って、こうしてのんびりをブログを書いていられる自分の境遇に感謝するばかりです。けれども、自分が加害者と被害者のやじろべえの真ん中にいて、もしかしたらあっちに傾くかもしれない、こっちに傾くかもしれない、と考えると空恐ろしくなります。

この映画を観て、こう思いましたよ。
映画と言う表現手段は何があっても守らなくてはならない。そして、その映画を上映する劇場なりなんなりの環境は何があっても僕たちは死守しなければならない。
それが、最後の砦なのかもしれないのだから、と。