2015年/日本/121分
監督 呉美保
原作 中脇初枝
脚本 高田亮
撮影 月永雄太
音楽 田中拓人
出演 高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴、高橋和也、喜多道枝、黒川芽衣、富田靖子
呉美保監督の新作と言うこと以外はまったく前情報を入れておらず(ポスターすら見ていなかった)、タイトルからは「ほう、今作は一転して甘い恋愛ものなのかな」などとのんきに想像をめぐらせて鑑賞したら、どえらいことになりました。
前作『そこのみにて光輝く』に続き、観る者の胸を抉り出すような力強い、そして、取り扱っている題材も相まって非常に繊細で緻密な作品になっていました。とは言え、ぼくはこの手のやつが苦手でして…。もう、尾野真千子さんやめてあげて!とか、いくら演者とは言え子供たちのケアだいじょうぶかなとか(おそらくその辺は細心の注意を払っていると思われます)、ぼくが先生だったらあの小生意気な子供とか学級崩壊とか、もう…どーん!みたいなことばかり考えてしまい、鑑賞中は気が気でなく、自身の経験も含めて(割愛しますが)あんな気持ちやこんな気持ち、あんなことこんなことが胸中を錯綜して…つらい映画体験でした。
唐突に暗転するラストも、120分の尺の中で何らかのぼくなりのカタルシスを欲していたところに「ひぇ!そこで終わりなの!」と腰を抜かされびっくりしましたが、振り返って考えてみれば淡く重なる異なるエピソードにそれぞれの救いのようなものが提示された後、岡野先生を演じる高良健吾が全力疾走の末、ためらいがちにそして徐々に力強くなる、あの扉へのノックに一筋の光明っちゅうか微かな希望と続いていくシビアな現実を暗示させてぶった切るって言うのは、このテーマからすれば相応しいですし、フィクション≒ノンフィクションの思い切りの良さを覚えた次第です。
呉監督、前作でもそうでしたが光や色調の使い方がとても素晴らしいと思います。青みがかったいささか落とし気味の光加減から物語が進むにつれほのかにオレンジ色の温かい色調へと変化していく巧みな撮影に感心しました。そして、子供たちの演出は見事です。出色は先生が出した例の宿題を子供たちが一人づつ答えていくところ。あのシークエンスだけ、がっつりナチュラルなドキュメンタリーの手法をとっていて胸に迫るものがありました。子供たちが本来持ち合わせているかわいらしさ、善の部分が如実に表れていましたね。
ただ、ちょっと引っ掛かったのがこのナチュラルさ加減がエモーショナルなシーンになる度に薄まってしまい、映画がそこでいったんストップしてしまうような印象を覚えたのです。にわかに、ぐぐっと芝居がかってしまい、ましてや(このブログで何度も書いていますがぼくは映画音楽が苦手なので)こういう場面でポロロンとかこれまた感動を誘うような音楽が流れると鼻白んでしまうのです。CGで舞い散る桜の花びらもいただけませんでした。あと、おばあちゃんを演じる喜多道枝の芝居がやや大仰だったのと、なぜこのキャスティングをしたのか富田靖子があまりにも富田靖子すぎてノイジーだったかなと。しかし、池脇千鶴の肝っ玉母さんっぷり(しかも暗い過去を持つ)や高橋和也の前作に引き続いての「いるいるーこういう先生!」的な演技は凄いですし、もちろん尾野真千子の好演もですが役者陣の懐の深さが目一杯スクリーンに醸し出されて良かったです。呉監督の演出の妙にも唸らされますね。
そもそも中脇初枝による原作も大変に評価が高い作品であったとのことで早速こちらも買い求めまして、やっぱり舞台裏が知りたいのでパンフレットも買えば良かったなあとこのブログを書きながら思い始めているところです。いずれにせよ今後も呉美保監督の作品は見逃すわけにはいきませんね。
…なんか思い出したくもないけれど、ぼくの小学校時代(に限らずですが)もいろいろあったなあ…先生とか大変だったんだろうな…子供か…認知症…老後とか…といろいろ思いを巡らせていると沈み込んじゃうのでこの辺で筆を置きます。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でヒャッハー!するのも最高ですが、こういうポテンシャルのある邦画がしっかりと現在進行形で提示されそれを鑑賞することができるというのは一映画ファンとして大変心強いものです。
おかあさん!もうやめてあげて!と思わず声が出るシークエンス。 尾野真千子さんもつらかったでしょうね。 |