2016年4月30日土曜日

太陽


監督 入江悠
原作 前川知大
脚本 入江悠、前川知大
撮影 近藤龍人
音楽 林祐介
出演 神木隆之介、門脇麦、古川雄輝、綾田俊樹、水田航生、高橋和也、森口瑤子、村上淳、中村優子、鶴見辰吾、古舘寛治

公開から一週間、レイトショーとは言えゴールデンウィーク初日の祝日で客入りはぼくを除いて数人、一抹の寂しさと不安を胸に鑑賞に臨みましたが…ごめんなさい!ぜんぜんダメでした!大変に意欲的な作品であり、今をときめく撮影の近藤龍人さんの技量も存分に発揮され、演者さん達の熱の入れようもひしひしと伝わっては来たのですが、いかんせんぼくの苦手とするタイプの一本であり相性が悪かったようです。

そもそも、ぼくは舞台演劇が苦手なのですね。それに限らずライブパフォーマンス(コンサートもダメ)というものをほとんど受け付けないのです。それで、この作品は「イキウメ」を主宰する劇作家であり演出家の前川知大の同名の戯曲の映画化なのですが、映画それ自体、かなり意図的に舞台演劇に寄せて作られています。舞台と言うのは固定された空間で行われる為、記号的なセットが組まれて、ビジュアル的には観客の想像に委ねるところが大きくなり、演技についても大仰に、よりビビットに伝わるお芝居でなければならんでしょう。片や、映画の場合は(バジェットやテクノロジーの問題はあるにせよ)それとは逆の視点で映像的にも演技の面でも自由度が高くなると思います。ぼくはより映画的な映画の方が好みなんだと言うことでしょう。うまく説明できませんが。

近未来の日本が舞台となっており、「ノクス」と「キュリオ」と言う異なる階層社会とそこに暮らす人々を描いているのですが、それ分断する関所みたいなところに門扉があるんです。その門扉が開いたり閉まったりするときにゴゴゴガガガ…と結構重々しい音がするのですが、門そのものの見立ては金網のフェンスくらいのちゃちさで、すーっと開閉するのでぜんぜんマッチしてないのです。その脇には電話ボックスみたいな番所があるのですがそれもちゃちい。中にあるパネルみたいなのをタッチするとピポピポと音がするんですが、それもダサい。ワーゲンビートルみたいな車が走るとシュィーンと音がしてそれもまたダサい。病院の手術室とか、あの手術そのものの描写とかもダサい。“モルダウ”の使い方もダサい。要は今作で描写される近未来感みたいなのが全てダサく感じられてしまって全然お話に没入できないのです。

村上淳が演じる克哉が何をしたかったのかも良く分からんです。冒頭、えらい事件を起こして四国に逃げ、十年後に舞い戻ったかと思いきや突然、モトクロスバイクで門扉のある場所に現れてひと暴れ、走り去って次のシークエンスではまた突然現れたものの村人に寄ってたかって嬲り殺しにされると言う体たらく。ちなみに、このシーンは入江悠監督らしく長回しで撮影され、その画面に溢れる情報量から今作の白眉とも言える名場面なのですが、ぼくは滑稽にすら感じてしまい、「お前たち、一体何をやっているんだ」と小一時間お説教したくなりました。

ぼくが小学生の頃、部活動でサッカーを始めたのですが、コーチである教師が何度も「ボールに集まるんじゃない!」と注意していました。もっとコートをワイドに使えと。この映画を観ながらそんな事を思い出しました。世界規模、人類全体のお話なのに、とあるコミューンとコミューンの小競り合いくらいにしか見えないんですよ。説明すべきでないところを台詞で説明し、逆に説明すべきエピソードをぽんっと放り投げちゃってる、そんな印象で、ぼくは率直にこれは舞台で観劇するか、あるいは小説で読んだ方がグッとくるだろうな、と感じちゃいました。

とは言え、おそらくは今作でぼくが違和感を覚えた、あるいは突っ込みどころと感じた部分は入江監督が意図的にやっていることだろうと思います。観る人が観れば、あるいは僕以外の鑑賞者の大半が素晴らしい作品だとの感想を持ったかもしれない。そうなってくると、単純にぼくにある種の感受性が欠落しているのだと言う結論になって「つまんないって思う、お前がつまんないんだ!」と無限鬱ループにハマり、ダークサイドへと落ち込んでいくのです。ただ、ラストのシークエンス、雪が舞い散る橋のシーンの後に画面変わって、小春日和のススキ野原とかおかしいと思うけどなあ。一年経ったのかな。ぶつぶつ…。

神木きゅんありきの映画とも言えます。門脇麦ちゃんも頑張ってました。

2016年4月26日火曜日

マジカル・ガール


Magical Girl/2014年/スペイン/127分
監督 カルロス・ベルムト
脚本 カルロス・ベルムト
撮影 サンティアゴ・ラカハ
出演 バルバラ・レニー、ルシア・ポシャン、ホセ・サクリスタン、ルイス・ベルメホ、イスラエル・エレハルデ、エリザベト・ヘラベルト

ムービーウォッチメンで取り上げられた際には、まだこちらの地域で上映されてなかった為、ひと月程遅れての鑑賞となりました。前情報はタイトルのみと言う状態で鑑賞したので、(観た人は分かると思いますが)そりゃあ、ビックリしましたよ!オープニングからいきなりなんだこれ、なんだこれとスクリーンに引き込まれていくうちに物語は予測もつかない展開を見せ、終わってみれば、す…すごい映画じゃんと震えながら劇場を後にしたのでした。とは言え後味の良い映画とはお世辞にも言い難い物語なので、その意味でも震えが止まらない一本ではあります。

映画は三章立てで描かれているのですが、構成が非常に巧いんですよね。尚且つ観客の想像に委ねる語り口が効いていて、作品それ自体にふくらみを感じます。また、ノワール、ミステリ、難病ものなどいくつものジャンルがひとつに詰め込まれ、散りばめられていて、それでいて散漫にならないと言うかすっぽり収まっているんですよね。そして、映画全体を通じて漂う不穏感と筆舌に尽くし難い救いようのなさ。

ぼくは、元教師のダミアンが活躍(?)する第三幕目のくだりが好きでした。ハリウッドならロバート・デ・ニーロが似合いそうな役どころをホセ・サクリスタンと言うスペインの俳優さんが演じています。この人が映画のオープニングとエンディングを締める格好となるのですが、ファム・ファタールに翻弄される(そして、そのような人生を送ったであろうと想像させる)初老の男をミニマルな演技で、色気すら感じさせる絶妙な按配で演じています。

このブログではあえて映画の内容や登場人物についてあんまり触れておりませんが、とにかくなるべくなら前情報なしに、なんなら「へー、魔法少女のお話か」くらいの感じで観に行って欲しいですね。間違いなく度肝を抜かれるでしょう。もちろん、好き嫌いの分かれるところではありましょうが。撮影も良かったですよ。遠景のショットやじっとカメラを据えるシーン、映像の不穏な、しかし美しい質感。こちらも併せて注目してほしいところです。

ぼくがこの作品以外に観た記憶があるスペイン映画はペドロ・アルモドバル監督の『私が、生きる肌』だけなので、スペイン映画(あるいはスペイン人、スペインそのもの)はものすごくウィアード(weird)でぶっ飛んでるって印象が焼きついてしまったのですが、その認識でよろしいのでしょうか、スペインの皆さん。Hola!

“マジカル・ガール”に翻弄され道を踏み外していく二人のおっさん。

2016年4月22日金曜日

ルーム



Room/2015年/アイルランド・カナダ/118分
監督 レニー・アブラハムソン
原作 エマ・ドナヒュー
脚本 エマ・ドナヒュー
撮影 ダニー・コーエン
音楽 スティーブン・レニックス
出演 ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ、ジョアン・アレン、ショーン・ブリジャース、ウィリアム・H・メイシー、トム・マッカムス

久しぶりに胸を打たれる映画でしたね。ぼくは割にエンドロールが流れ出すと、すっと席を立っちゃう方なんですけれど、今作はしばらくじっと座り、余韻に浸っていました。至極個人的な経験、体験やある特殊な状況下での人間のあり方を描いて、しかもそれが普遍性を持つってお話が映画に限らずぼくの好みなんですけれど、まさにそれを地で行く素晴らしい佳作であったと思います。

そして、それを下支えし、映画に説得力を持たせるのが主演の二人。見事にアカデミー主演女優賞を受賞したブリー・ラーソンはもちろん迫真の演技でしたが、何より息子のジャックを演じたジェイコブ・トレンブレイくんが素晴らしい。両性具有的ないわゆる天使像(あるいはイエス・キリストその人でしょうか。彼と同じく納屋で生まれ髪も長い、ある意味での処女懐胎...etc)を重ねたと思われるその美しい顔立ちと姿態、透き通るような甲高い声で時にたどたどしく、しかし、ここぞという時には芯から発せられる絶妙な台詞回し、まさしく天才的です。天才子役は行く末が…などと言う例が散見され、今後がいささか心配ですが、良いキャリアを積み重ねっていって欲しいものです。

脇を固めるキャストも地味ではありますが確かな演技。ぼくのお気に入りの俳優、ウィリアム・H・メイシーが短い出演ながらも、(ここではあえて説明しませんが)ものすっごい複雑な心境を持たざるを得ない父親であり祖父となる苦悩の人物を好演しております。こう言う渋いキャスティングで映画に一本びしっと筋が通りますよね。

映画はおおざっぱに言えば前半から真ん中までサスペンス、そこから後半、ラストに至ってヒューマンドラマとして描かれており、ものすごく大きく言っちゃえば人間賛歌の物語ですよね。もちろん、母子愛(を含めた普遍的な愛)の物語であり、少年の成長譚、それに留まらずそれぞれの人々の成長のお話でもあります。ラストのシークエンスはオープニングと対になる形で希望的に締められていますが、その後のことに思いを馳せると、とりあえずこのお話はここで終わりますが、と観客に大きな問いを発し、想像力に委ねられるところとなっております。

涙腺決壊シーンがいくつかあるのですが、ぼくはジャックが初めて本物の犬と対峙し触れ合うシーンがなぜだかぶわってなりましたね。涙で目玉がもげそうでした。彼は想像の中で「ラッキー」と言う犬を飼っていたのです。あと、今はもうもぬけの殻になった“部屋”に再び訪れ「この部屋縮んだの(shrinkと言う単語を使っていました)?」と問いかける台詞が印象的でした。

上に書いたように、この映画は決してハッピーな映画ではありませんし、何らかの回答を示してくれるものでもありません。ぼくは一つの寓話としてこの映画を観ました。この映画から何かの教訓を得るのも良いでしょうし、改めて自分や世界に何かを問い直してみるのも良いでしょう。映画の元となった題材(実際の事件に着想を得て原作の小説は書かれています。参照:フリッツル事件)は本当に悲惨な事件ですが、そこから生まれたこの物語は非常に多層的で、様々な視点を持っており、我々にとって大変に重要なことなんだと感じている次第です。

ジャック役のジェイコブ・トレンブレイくんが大変に可愛いのです。頼むからアルコールとドラッグには手を出さないでくれ。

2016年4月15日金曜日

ボーダーライン


Sicario/2015年/アメリカ/121分
監督 ドゥニ・ビルヌーブ
脚本 テイラー・シェリダン
撮影 ロジャー・ディーキンス
音楽 ヨハン・ヨハンソン
出演 エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ビクター・ガーバー、ジョン・バーンサル、ダニエル・カルーヤ、ジェフリー・ドノバン

その劇場は小ぶりでスクリーンも左程大きくない為、いつも一番前の席を陣取って鑑賞しています。今回も同様に座りその列はぼく独り、大きく足を前に投げ出し何も視界を遮るもののないまま、スクリーンにかぶりつきで臨みました。その環境も相まって、臨場感あふれる演出に心臓はドキドキしっぱなし、息もつかせぬ緊張感たっぷりの121分と相成りました。

空撮やロングショットを多用し、サーモグラフィやナイトビジョン越しの映像などのアイデアも満載、さすがロジャー・ディーキンスの撮影は見応えありました。ガンエフェクトを含め音響も迫力がありましたし、ヨハン・ヨハンソンによる音楽も映画にマッチして、否応なく緊張感を高めます。注目の監督であるドゥニ・ビルヌーブをはじめとして、一流のスタッフ勢の仕事ぶりを堪能できる贅沢な一本ですね。

お話の方はちと難解と言うかミステリ仕立てになっていて、前情報や映画冒頭に示されたようないわゆるメキシコ麻薬戦争実録ものではなかったです。邦題は『ボーダーライン』となっていてこれは“国境”と“善悪の境界線”のダブルミーニングになっていると思われますが、確かに国境は舞台になるものの善悪の境界線に関してはハナからそんなものを振り切っていて、リドリー・スコット監督『悪の法則』に通ずる徹底して救いようのない、避けられることのない大文字の“悪”が描かれております。そして、原題の『Sicario』(メキシコで暗殺者の意)通りベニチオ・デル・トロ扮するアレハンドロのSicarioっぷりの一部始終を主演のエミリー・ブラント演じるケイトが目撃する様が展開される仕立てになっており、終わってみればアレハンドロのパーソナルな復讐譚でした。

エミリー・ブラントとベニチオ・デル・トロの激しさを秘めながらも抑えた演技が良かったですね。特にぼくはベニチオ・デル・トロの圧倒的な存在感にやられました。拷問めいたことをするシークエンスがいくつかあるのですが、とにかく近いんですよ、顔が。異常なまでに身体をググッと寄せてくるんです。ぼくなら2秒でやってないことまで洗いざらい吐いちゃいますね。人差し指をちゅぽっって舐めてそれを相手の耳の穴に入れてぐりぐりーってするシーンがあるのですが、観ているだけでスクリーンに向かって思わず「わかった!全部しゃべるから!」と完落ちするところでしたよ。

メキシコと言うとソンブレロを被った陽気な髭のおじさんや、タコスをはじめとしたメキシコ料理、テキーラ!などを思い浮かべて明るい気持ちになったりもするのですが、この麻薬カルテルによる闇の部分は本当に根深く恐ろしいものですね。今作はメキシコ=悪、アメリカ=(法を犯しながらも)ジャスティス!といささか一方的に描かれていましたが、いろいろな側面に光を当てたり影を落としたりと今後も様々な作品でテーマとして扱われる題材となりそうです。

今作では、エミリー・ブラントの“強さ”よりも“弱さと葛藤”にスポットライトが当てられます。

2016年4月8日金曜日

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生


Batman v Superman:Dawn of Justice/2016年/アメリカ/152分
監督 ザック・スナイダー
脚本 クリス・テリオ、デビッド・S・ゴイヤー
撮影 ラリー・フォン
音楽 ハンス・ジマー、ジャンキー・XL
出演 ベン・アフレック、ヘンリー・カビル、エイミー・アダムス、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、ジェレミー・アイアンズ、ホリー・ハンター、ガル・ギャドット

IMAX3Dにエグゼクティブシートと、万全の態勢で鑑賞しました。いやー面白かったです。“ならでは”の迫力満点な映像と音響を楽しみました。ぜひ、スクリーンで観るべく劇場に足を運んで欲しい一本ですね。ぼくのお母さんの映画感想あるあるで「面白かったよ!ばーんとなってびゅーんってなってどかーんって!すごかった!」と言うのがあるんですが、まさにそれを地で行く感じでした。

ぼくは前作にあたる『マン・オブ・スティール』感想はこんな感じです。概ね褒めています)は公開当時に鑑賞済みですし、フリークと言うには程遠いですがスーパーマンは幼少の頃からのファン、バットマンに関してもティム・バートン版からクリストファー・ノーラン版に至って、ほぼほぼ鑑賞しています。そう言った意味では今作、一見さんには非常に敷居の高い作品となっているのは間違いないでしょう。オープニングのシークエンスからして『マン・オブ・スティール』を観ていないと何が何だかわからないでしょうし、「ほえー、バットマンとスーパーマンが闘うんか…」と軽い気持ちで観にいくと(お話し的には)たいそうな置いてけぼりを喰うことになるでしょう。

すなわち、そこら辺の条件をクリアしているぼくにとっては、また、そもそもザック・スナイダーにそんな緻密でご丁寧な演出を求めていない身としては、とにかく眼前のビジュアルとサウンド・エフェクト、ハンス・ジマーの音楽に酔いしれ、後半になってますますお話がぶっ飛びがちになり、前作同様、肉弾戦溢れるアクションシーンでスクリーンが満たされるほどに、前のめりになってエキサイトしたのでした。

ネタバレになりますが、一番の見所はバットマンでもスーパーマンでもなく、ワンダーウーマンの登場ってのも痺れますよね。ジャンキー・XLとの共作、ワンダーウーマンのテーマに乗って、ここぞという場面での登場シーン、これが最高に格好良いんですよ!「ジャスティスリーグ」の誕生譚として、このシークエンスだけでも観る価値アリかもしれません。


いわゆる『ダークナイト』路線で、相変わらず暗いっちゃあ暗いのですが、まあこのシリーズはこの感じで行くんだろうと含んでおいて、またマーベル作品とは違った味わいを楽しむ姿勢で臨んでいくと良いでしょう。前作がたいそうなメガデス(大量に人が死ぬ)映画だったですし、事の発端であるバットマンとスーパーマンの確執の原因がこのメガデスである為、今作はその部分は配慮してありますが、どうしても彼らの戦いには二次被害がつきもの、またいらん恨みを買うんじゃなかろうかと冷や冷やしてしまいます。

演者さんも良かったですよ。ヘンリー・カビルは安心して観ていられますし、意外とベン・アフレックがあの顎で好演。新たなレックス・ルーサー像を描いて魅せたジェシー・アイゼンバーグの芸達者ぶりも見事。ジェレミー・アイアンズのアルフレッドも乙でしたね。個人的にはスクート・マクネイリーがまたしてもああいう役で出演しこれまた良い芝居で清々しく消えていったのがカワイソ面白かったです。

DCエクステンディッドユニバース、次作の『スーサイド・スクワッド』(お気に入りのデヴィッド・エアー監督!)、そしてガル・ガドットの出世作にして代表作になるであろう『ワンダー・ウーマン』も非常に楽しみですね。期待しております!

おなじみスクート・マクネイリー。たまには彼にもヒーロー役とか演じさせてあげてください。

マン・オブ・スティール


Man of Steel/2013年/アメリカ/143分
監督 ザック・スナイダー
原案 デビッド・S・ゴイヤー、クリストファー・ノーラン
脚本 デビッド・S・ゴイヤー
撮影 アミール・モクリ
音楽 ハンス・ジマー
出演 ヘンリー・カビル、エイミー・アダムス、マイケル・シャノン、ケビン・コスナー、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、ラッセル・クロウ

鑑賞当時はブログを書いていなかったのですが、この度の『スーパーマン vs バットマン ジャスティスの誕生』公開を記念しまして、ムービーウォッチメンへの投稿メールを加筆修正し転載します。

**********

先週の『スタートレック・イントゥー・ダークネス』に引き続きメガデス(大量に人が死ぬ)映画でした。被害規模としては今作の方が甚大だったかもしれません。子供のころは水没したバスをザバーっと陸に持ち上げて同級生たちを救ったり、大人になって放浪の途についているときも体をぼーぼー燃やしながら崩れ落ちる鉄骨を支えてプラントみたいなところから同僚を救出したりとその超越した力を発揮していたのですが、自分の出自を知りその使命と力に目覚め、あのコスチュームに変身してから終盤に向けてはマクロ的に人類を救うという大目的はあるにせよ、その戦いのさなかめっちゃ人が死んでんねんで!という。

それはさておき映画としてはボリュームたっぷりで長尺も飽きさせず、さすがのザック・スナイダー的画づくりで普通に楽しめました。コスチュームもクールでぜんぜんまぬけな感じはなかったし、どんなに激しいアクションをこなしてもオールバックの髪型が乱れないヘンリー・カヴィルも及第点です。(ガッチャマン』鑑賞後なのでヒーローもの実写化に対するハードルがめちゃ下がっているきらいがあるものの)純粋にカッコイイ!スーパーマン!という気持ちで劇場を出た後は両腕をぐっと前に伸ばしてジャンプし、あ、やっぱり僕は飛べないんだということを確認しました。


二つほど、批判点を。一つは「スーパーマン」っていう名前を出し惜しんだこと。劇中ではワンシーンだけはっきりとその名前で呼ぶシーンが出てきますが、エイミー・アダムスが言おうとする時は「ス…」のところでキーンとなってぼやかしてますし。別に良いんじゃないですかねえ。タイトルはあれでカッコイイと思いますけれど、ちゃんと「スーパーマン!」って呼んであげてこそみんなの味方!って感じがしますし、そこはダサいし…とかで照れ隠しするんじゃなくてバーンと出してほしかったです。もう一つは、やっぱりクリストファー・ノーランがプロデュースということでいささかシリアスに過ぎるというところですね。『ダークナイト』っぽく仕上げたいのはわかるんだけれど元来スーパーマンって「陽」のヒーローだと思うんです。今作で書かれた主人公の生い立ちや葛藤はドラマとして良かったし、ケビン・コスナー演じるアメリカの正義を体現したような父親像も演技の素晴らしさとあいまって最高でしたけれど、もうちょっとポップな感じもほしかった。


今回、あらためて『スーパーマンⅡ 冒険篇(レスター版)』を観直してみたのですがあれはあれで批判はあるようですけれど(ドナー版との比較で)、ちょっとエスプリが効いててセクシー、頭脳プレーも時折見せる、そんなスーパーマンもやっぱり好きです。この『スーパーマンⅡ 冒険篇』と同じようにトラック野郎に仕返しするシーンが今作でも出てきますが、そのやり方があまりにえげつなすぎて笑えなかったですもん。怖っ!てなりました。

話しが前後して恐縮ですが肉弾戦のアクションシーンは見応えありましたね。冗長にすぎてさすがにゾッド戦の途中から飽きてはくるんですがあの対人間とのスピード差や力具合の強弱のつけ方、やられてひっくり返ってもふわっと浮いてるところ、道路を削り取りながら体のブレーキをかけるなど、ほんと緻密に殺陣がアクションがつけてあって感心しました。目からビームとかも僕的にはたまりません。

なんだかんだ言ってたっぷり楽しめましたし、子供のころ劇場で立ち見して鑑賞し、家に帰ってタオルケットか何かをマントの代わりにして「スーパーマン!」ってはしゃいでた懐かしい感じも思い出すことができて満足度は高かったですね。ローレンス・フィッシュバーンの激太りには目を疑いましたけど。



クールだったモーフィアスも今は昔…。

2016年4月1日金曜日

ちはやふる 上の句


2016年/日本/111分
監督 小泉徳宏
原作 末次由紀
脚本 小泉徳宏
撮影 柳田裕男
音楽 横山克
主題歌 Perfume
出演 広瀬すず、野村周平、真剣佑、上白石萌音、矢本悠馬、森永悠希、松田美由紀、國村隼

原作は未読、アニメも未見、本作のモチーフとなる競技かるたについてもほぼ知識がない中、苦手意識の強い邦画の青春もの、しかも大人の事情が垣間見える昨今流行の前後編二部作か、と嫌な予感を抱きつつしぶしぶ、と言った体で劇場に足を運んだのですが、なかなかどうしてこれが大変に面白かったのです。鑑賞し終えて、思わず近くの席にいた女性に「お、面白かったですよね」と声をかけそうになりましたが寸でのところで踏みとどまりました。

序盤、かるた部創設に至る一連のドタバタ劇こそ「あちゃ、やっぱりこんな感じか」とその演出や俳優陣の演技に首をすくめてむず痒さを覚えたものの、ストーリーが展開するにつれググッと画面に引き込まれ、合宿を経ていざ都大会へと進み試合でのやりとりを追うにつれスクリーンに向かう眼差しも真剣になり、胸に熱いものを覚えるのでした。競技かるた部5人のそれぞれに背負うドラマが短いシークエンスの中できびきびと描かれており、テンポ良く抑揚をつけて物語が進んでいくのが見応えありましたね。

撮影も良かったと思います。構図がビシッと決まってたシーンがいくつもありましたし、試合の場面ではスローモーションとクローズショットを多用し外連味たっぷりに見せていました。また、この競技かるたの所作、アクションってのが絵になるんですよね。ドローン撮影も使って意欲的でしたし、全体を通して透明感があり尚且つ力強い画づくりで美しい魅力に溢れていました。

それにしても、あれですね。主役の綾瀬千早を演じた広瀬すずさん、非常に攻撃力の高い顔をしていらっしゃいますね。顔がつおいです。まっつぐです。あの顔面と突き刺さるような目力で「かるた部の部員になってくれませんか」と誘われたら光の速さで入部します。そして、日本の和に憧れる奏を演じる上白石萌音ちゃん。『舞子はレディ』以来お目にかかりますが大変に優れたコメディエンヌの素質を感じました。彼女には今後も良いキャリアを積んでいって欲しいものです。あと、机くんが出色でした。演じたのは森永悠希くん。彼の内に秘める感情がぽろぽろと顔を出し、ついには決壊するダムのように溢れ出すその様を抑えながらも熱く演じていました。ちなみに合宿のシーンで、すし桶からこぼれた米粒をさっと拾ってそっと指先に隠し持ちながら長回しのシーンをこなしていましたね。優しさが垣間見えました。

今作、“上の句”だけでも一応のカタルシスは得られますので単品として鑑賞してもオーケーでしょう。とは言え、“下の句”に向けた引きももちろんたっぷりとあり、ぼくとしては乗りかかった船以上に今作を楽しんだだけに、“下の句”の公開も待ち遠しいところとなりました。いずれにしろ、思いのほかキャストを含めた作り手の真摯さに胸を打たれた佳作と言うことで満足度の高い映画体験となった次第です。ホントはもうちょっといろいろと伝えたいんですけれど、うまく文章になりきらなかったのが心苦しい。誰かと観にいって感想をきゃっきゃと語り合いたい、そんな映画であります。

つおい(確信)。